top of page
執筆者の写真東海林弘靖 / Hiroyasu Shoji

ルーティーンが気分をあげる!

更新日:2022年12月14日


ひと手間入れよう


いつの間にか定着した言葉


ルーティーンという言葉は、ラグビーの五郎丸歩選手がゴールキック前の手を合わせて祈るようなポーズが有名になってから、とてもポジティブな意味で一般的になりました。


でもそれ以前はというと、やりたくないけどノルマだからしょうがなくやるような仕事のことをルーティーンワークと呼んでいて、あまり良い響きではないイメージがありました。五郎丸選手のルーティーンは前向きに何かを成功させるための心の準備のようなものであり、しかも見ている私たちも一緒に祈りをささげてしまうほどの共感の時間だったのでしょう!


このポジティブなルーティーン作業としての日々の練習や訓練、作業などを開始する際に繰り返される所作について、光のソムリエの目線で今日は考えてみたいと思います。

 

心地良く目覚める為に駆使した工夫


私は建築を学ぶ大学生の頃からつい最近まで、夜遅くまで作業や仕事を続けるのが普通だと思っていました。毎日の就寝時刻は早ければ午前2時、次の日が休みであれば朝まで図面を描くことも日常と感じる日々でした。そんななかで、数時間の睡眠をへて目覚めるのは一苦労があり、それを克服するために様々な工夫をしておりました。


それは目覚まし時計を沢山使う・・・のではありません。電気のスイッチングが出来るタイマーを駆使して、枕元のスタンドライトが起きる時間になると明かりが灯され朝が来たことがわかるようにしていたのです。ただそれだけだと、照明を使った目覚まし時計でしかありませんので、幸せな目覚めのために、寝る前にコーヒーメーカーに水とコーヒー豆をセットしておいて、朝になると自動的にスイッチが入りコーヒーのなんとも素敵な香りで目覚める・・・というようなクリエーションも試行しておりました。これはとても大好きなルーティーンとなっていました。なぜなら、目覚めた瞬間に誰かが「お目覚めのコーヒーができております!」何て語り掛けてくれるような嬉しいひと時があるのですから!


目覚まし時計だけだと、「おい、時間だぞ!起きろ!」と言われているような朝からちょっとしたストレスを感じてしまうのですが、これだとおびき起こされるような、次の行動に気持ちよく移れる嬉しい所作だったと感じます。


日曜日の目覚めの場合はこれに加えて好きな音楽を流したり・・・今じゃスマートフォンやスマートランプで簡単に出来ることですが、当時は自分でスイッチングタイマーをレコードプレーヤーとアンプにつなげて、目覚めのために選ばれたレコードに針をのせておくというアレンジを行っていたのです。この私だけの考案した私のための目覚めのルーティーン自体にいささか陶酔していたところもありました。

 

眠りにつくための程よい暗さ・明るさ


さて話を現代に戻しまして、今はと言いますと時代も変わり歳も重ねたことにより比較的早く就寝して、朝は難なく起きられるようになり朝のルーティーンのような所作はなくなってしまった一方で、夜の自然な眠りにつくための新たなルーティーンが出来ました。


それはこのLEDランタンを使った光のルーティーンです。これの気に入っているところは2点あります。一つは光り方なのですが、ガラス管内の白い筒内の上部にLEDが仕込まれているため光源の直接的なまぶしさがない点です。


2点目は下部についているダイヤル式のつまみで調光出来ることなのですが、かなりギリギリの暗さまで絞れるところがとても気に入っています。


以前、デリシャスライティングという本に「おやすみライト」という照明レシピを書いた際に、寝る前にスタンドライトの白熱電球を調光器で半分に絞り、しばらくしたらさらに半分に、その後また半分、また半分・・・とどんどん暗くしていくということをしているうちに寝てしまうという無限調光の話を紹介しました。これと同様のことを今はLEDランタンでやっているわけです。


寝る時に本を読むほどは明るくなくていいけれども、雑誌を眺めたりスケッチを描いたりするための明かりを枕元に置いて、ちょっと眠くなったらスッと明かりを絞って急に真っ暗にならないようにします。それを繰り返しているうちにいつの間にか寝てしまうのですが、朝になると微かについているみたいな感じです。小さなルーティーンが心地よい眠りに誘うというのは不思議なことだなぁ・・・なんて思いながらすーっと寝落ちするのです。

 

明かりはルーティーン的でもある


昔はタイマーを使って自動化していたのに、今では手で光を絞るというアナログな行為になった訳ですが、これこそルーティーンが人間的な面白いところなのではないでしょうか?  そういえば、子供の頃に母の実家に泊まりに行くと、そのころの日本の田舎暮らしにはルーティーンがいっぱいあったことを思い出します。


たとえば、近くの井戸に水を汲みにいくことから朝が始まりました。上水道が普及していなかったのでしょうが、良い水が身近なところで湧いている良い環境が整っていたということなのでしょう! この水汲みの作業はいささか面倒なことのように見えていましたが、おばあちゃんがせっせと数回に分けて井戸と台所を行ったり来たりする姿は、楽しそうにも見えていました。そして「僕も手伝う―!」何て言いながらせっかく汲んだ水をこぼしていたことはご想像の通りでございます。この水汲み作業、今風に言えば、ストレッチを兼ねたウォーミングアップであり、良い一日をスタートするためのルーティーンとなっていたのでしょう!


また、もっと前の時代で照明が電気ではなかった頃は、明かりを灯すというのはとても手間がかかるものでした。油や炭を足したり、和蝋燭の場合は芯を切ったり、そういう所作が必要だったのです。この作業もまた面倒な仕事とも言えますが、このことがあかりと人を今よりも強く結びつけていた・・・、あかりの尊さやそれへの感謝があった・・・、そんな時代だったのだと振り返ります。


コロナ禍であまり人と会わないような、気持ちがなんとなく内向きになることが多かったこの時代で、こういったルーティーンを前向きに工夫するというのは、心を健康に保つためにもとても大切な役割を担うのだろうという気がします。それは炎との対話であったり、気持ちの良い、楽しい、美しいルーティーンであり、そういうものが人の心を満たしてくれるのではないかと思います。ここまで書いてみたら、なんだか大自然の中で焚火の光に当たっていたい気分になりました。そう、薪を集め、積み上げて乾かし、大切に灯す暖かい光のルーティーンです。



bottom of page