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  • 執筆者の写真東海林弘靖 / Hiroyasu Shoji

ポール・マランツさんのこと


ノートに記されたポール・マランツさんのサインと言葉「Thanks for "The Sound of Light"」
photo by LIGHTDESIGN INC.

照明を愛する穏やかな賢人


わが心の師


これまでの人生のなかで、私が師と仰ぐ先生は数知れど、強い憧れと尊敬の念を絶やすことのできない師は、この方をおいていないと思うのです。本日は私が心の師匠と仰ぐアメリカ人照明デザイナー、ポール・マランツさんのお話をさせていただきましょう。


ポール・マランツさんは、ニューヨークを拠点に世界各地でたくさんの建築家と素晴らしい光の空間を作りつづけていらっしゃいます。その代表としては、ニューヨークのタイムズスクエアの年越しカウントダウンイベントで使われる「タイムズスクエアボール」や、ワールドトレードセンターの911メモリアルパークのライティングデザインなどがあります。あるいは、東京では初台にある新国立劇場の照明があります。


実は、このプロジェクトのためにマランツさんが来日された時に、私は遠くからその様子を垣間見ておりました。当時はそんな遠い存在だったのです。それは1988年くらいのことだったと思います。

 

ニューヨーク事務所での体験


その後、1990年のことになりますが、時はまさにちょうどバブル真っ盛りでした。その時、日本で2つの建築プロジェクトがあり、当時在籍していた会社とポール・マランツさんの会社とジョイントベンチュアでプロジェクトを進めることとなり、なんと私がニューヨークのマランツさんの事務所に出向いて実務をまとめることとなりました。願ってもいないチャンスに心躍らせ現地まで赴いたのは言うまでもありません。


ニューヨーク出張は2週間が2回で、合計4週間ほど、短期ではありますが、マランツさんの事務所にスタッフさながら通うことになりました。初日は月曜日で、朝早く勇んで出社したのは言うまでもありませんが、少し早すぎたのでしょう、そこにはまだ誰も出社していませんでした。そこで、暫く入り口で不安に駆られながら待っていたのを今でも記憶に刻みつけられています・・・。憧れのニューヨーク、素晴らしい師の下でのワクワクした勤務が始まったのですが、そこで印象的だったことの一つに、週1回行われる朝の社内ミーティングがありました。


スタッフ全員が会議室に集まり、プロジェクトの進捗状況を確認し、マランツさんからの指示をもらうのですが、最初に社長であるマランツさんからのお話があるのです。内容は、最近気になった話題や照明に係る古いエピソード・・・たとえば、1970年以前のニューヨークの街路照明の話(現在はオレンジ色の夜景が広がっていますが、以前は白かったというのです)とか、ダウンライトは、なぜ発明されたのか?など、英語は十分に理解できなかったかもしれないけれど、話の流れは聞いていて十分に面白かった・・・ひょっとしたら、私にも分かるような優しい話し方をしていただいていたのかもしれません。


このミーティング以外にも、直接私に教えてくれた様々なアメリカの照明の話がありましたが、それらの話の端々に照明デザイナーマランツさんという、本当に照明が大好きな方の穏やかながら熱い思いを感じたのでした。

 

照明を楽しむ姿勢


当時手がけられたプロジェクトの一つは横浜国際会議場だったのですが、その中のホールの照明について検討していたときでした。天井に帯状に重ねられた間接照明を細型蛍光灯を使って演出しようと決まったものの、蛍光灯は調光するとノイズを発することが問題でした。


さて、この問題は午後に改めて考えよう・・・!ということで、一旦ランチタイムとなりました。すると、一緒にランチを食べていたときです。ふと、ひらめいた!と言って早々にピザをほおばり、スタッフに何やらインテリア立面図をたくさんコピーするように指示し、自分の部屋に戻っていったのです。


ランチタイムを終えた後、マランツさんは、満面の笑みを浮かべて、プロジェクトルームに入ってきました。そして、茶目っ気たっぷりに、手にした葉書サイズの紙をペラペラさせているではありませんか! どうだ!これだよ!とみんなに見せたのがパラパラ漫画に表現した消灯イメージだったのです。


帯状の連続照明を順々に流れるように消していくその様を、自らの手を動かしてスタッフに見せてくれる様子を見て私もこういうデザイナーに、いや人生を歩みたいと強く、強く思ったのでした。

 

穏やかな大御所


その後、プロジェクトが竣工し、来日して現場を見に来られた際は、私が空港までの送り迎えをご一緒させていただくことになりました。この時も重ねて、マランツさんの照明に対する思いを知ることとなったのです。それは、私が現場監理を担当したホテルの現場でのことでした。


現場には様々な事件が多々発生します。たとえば、ダウンライトが取り付けられるはずの天井裏に、空調のダクトがあって、ダウンライトを埋め込むことができない・・・そんなよくあることがこの現場でも発生していたのです。当時の私としては、「しょうがないこと」として何とか別の案で解決したつもりでした。マランツさんは、そんな予定通りに仕上がっていない現場で、私の言い訳を渋い顔をして聞いていたのですが・・・。


その帰り道のタクシーの中で、こう私に語りかけてくれました「ショージ、照明というのはそもそも、そういうものではないか。ここに何があるから置けないなんて、実は初めからわかっていて、それをどうするかを考えるのが私達、照明デザイナーの仕事なのだよ・・・」と。私はそれを聞いて、ガツーンとハンマーで殴られた気分でした。


照明とは、いつも工事のそんなリスクにさらされているのだ。考えた光をどうやって実現させるのか?そこに様々な工夫や対処をし続けるのが私たち照明デザイナーの使命なのではないか・・・?マランツさんのいみじくも淡々と語った言葉には、そんなメッセージが込められているように思いました。これ以降、私は照明デザイナーとして、「照明は現場では、か弱い存在であり、それを何とかして最後まで導くことが私の仕事」 このことを肝に銘じて今日までやってきています。


2年前、私がラスベガスでデザイン賞の優秀賞を受賞した際には、マランツさんが私のところにやってきてくれました(マランツさんも受賞者だったのですが)。そして二人で一緒に写っている写真が、受賞のときにいただいた表彰楯以上に誇らしいものとなったのです。


第29回IALD国際照明デザイナー協会デザインアワード、授賞式会場にて、左に東海林弘靖、右にポール・マランツ氏
第29回IALD国際照明デザイナー協会デザインアワード、授賞式会場にて

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