私達の中の二つの世界観
山小屋に身を置いて気づいたこと
2年前に、ふるさと福島の空が広がる場所に光の観測拠点を建てました。一人が寝泊まりできるような小さな山小屋ですが、以来大自然に取り囲まれた空間に滞在する時間を持つようになりました。
そこでは周辺の光環境の変化を観測し、同時にその光の変化を照度計で実測するなど、自然光の研究に向き合い始めました。標高が600メートルの高原にあるので夏は避暑地のような涼しさはあるのですが、この場所の本当の醍醐味は秋から冬にかけての滞在といえるでしょう! 日没時に空の光の変化をしっかりと感じ、雪で真っ白になった山々がブルーモーメントに染まるのを見ると心が洗われます。
ただし、真冬にこの場所に滞在するためには、それなりの装備と覚悟が必要です。寒さに震えながら薪ストーブに火を灯せば、小さな室内はTシャツでも過ごせるようになります。しかし、夜中にも火を見張り、薪火が消えないように決して寝落ちしないことが求められるのです。
薪ストーブとの対話
山小屋では寒い冬こそ薪火から発せられる赤外域の光を体で感じたいと考え、少し奮発して最新式のデンマーク製の薪ストーブを導入しました。エアコンによる温かい空気とは異なって、体にホカホカを感じる温かさは実に快適です。しかし、火の光と熱を享受する…なんてカッコいいことを言ってみたものの、そのためには色々なケアが必要だということを思い知らされました。
楢やクヌギの乾燥薪は思ったよりも大量に必要で、一晩で直径50センチの薪用のバケツに山盛りになる薪が必要です。そして、夜中にも薪を補充しなければなりません。薪を補充する際には、ストーブの空気弁を開いたり、勢いよく燃え上がる火には空気弁を絞って炎を落ち着かせる作業が必要なので寝落ちしてしまう訳にはいきません。自然の中の暮らしというのは、そういうものなのでしょう!そう!対話が必要なのだと身をもって(寒さをもって)理解したのです。
薪ストーブとの対話、それは自然の寒さから人間が身を守るための重要な所作、あるいは作法な訳です。これは自然界に広がる闇の時間に、人間が生きるための光について考えるヒントになると思いました。決して求めすぎてバランスを壊すのではなく、慎ましやかに美しい光を灯す作法を身に着けるためにゆっくりと対話を続けたいと思うのです。
自然の闇に心がととのう
そして、都会との大きな違いは夜の時間帯です。山の中では街灯というものは全くありませんから、月の出ない夜は本当に真っ暗です。大きな木はなおさら夜の闇を黒く見せてくれるし、夜がこんなに恐怖を伴うものだとは知りませんでした。
そのようなところに一人で身を置くと、大いなる闇に押しつぶされそうになるのは確かです。星は出ていてもその明るさは1000分の2ルクス程度なので、室内から「いや~星明りが綺麗だな~」なんて楽しめるようなものではないこともわかります。一方、満月のあかりは偉大です。0.2ルクスの照度がこれほどまでに周辺の環境を見せてくれるのですから。
30数年前にサハラ砂漠の満月の夜を実測した際、起伏を繰り返すだけの砂漠では樹木や家々の影など皆無であったので、体感としての月明かりの0.2ルクスの偉大さを感じてはいましたが、この山小屋の場所は森に囲まれているので砂漠ほどの明るさ感はないはずだと思いながら歩いてみると、意外にも樹木の下でも月明かりによる木漏れ日が感じられるのです。視神経システムが順応していることもあって、その時間は普通に外を散歩しても何も問題はない明るさであることが確認できます。
そんな環境下で森の中の本当の暗闇の恐ろしさと、月明かりの尊さを身に染みるように感じつつ、でも早く朝が来てほしい!と願う自分を発見するのでした。
田舎生まれの私ですが、長年過密な大都市に暮らしてしまうと、大自然の摂理に無頓着な毎日を送ってしまいます。時に街を出て闇を体感することで光のありがたさを改めて感じ、心がととのう感じがいたします。
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