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  • 執筆者の写真東海林弘靖 / Hiroyasu Shoji

闇の質を考える



環境によって左右される光の空間

ある編集者の体験

先日、とても興味深いコラムを読みました。それは東京から北海道に移住した編集者の方が書かれたもので、2018年9月6日に発生した北海道地震による道内大停電についての考察でした。(実際のコラムはこちら


彼女は2011年の東日本大震災も東京で被災していたので、これら二つの地震の様子を比較して書いていました。その中で北海道の夜と東京の夜の違いを下のように綴っていました。


ー「普段から夜になると街灯がまばらで、暗く静まり返っている美流渡での停電は、東京で体験した“真っ暗闇”とは違い、星のきらめく“明かるさ”すら感じられるものだった。暗闇とは、光が強ければ強いほど、その落差によって生じるものなのだ。」ー


都市と田舎の環境を比べたら、明るさ・暗さが違って感じた・・・、それは色んな要素が原因して起きているごく当たり前のことなのかもしれませんが、照明の専門家としてはもう少し深く掘り下げて考えてみたいと思いました。


 

視神経が見せる光環境


田舎では都会ではわからなかった星の明るさを感じることが出来たというのは、実は視神経のシステムによるところがあります。人間の目は、「明所視」と呼ばれる光量が充分にあって瞳の瞳孔が小さく絞られている状態と、「暗所視」と呼ばれる真っ暗もしくは低輝度の環境下で瞳孔が大きく開いている状態を使い分けています。


東京などの大都市においては、街路灯や店舗、サインの光や自動販売機の放つ光など日没後も十分な光量があるので、完全に暗所視に至らず、明所視から薄明視の状態におかれます。北海道では夜間に人工照明による光量が少なく、薄明視から暗所視の状態にあったと考えることができます。



 

影を作る障害物と騒音


もう一つ、理由があるかもしれません。それは、都市には、大きく高い建物が多いという理由です。


高い建物に挟まれた道路に立てば、大きな空も建物によって切り取られてしまします。さらに、都市の夜は、光環境だけでなく、車や電車の騒音が常に響いています。数少ない暗闇を湛える青山墓地の真ん中を走る道路は、混雑を交わして青山から六本木へ向かうルートとして夜間も沢山の車が走ります。それ故、闇をもってしても、心穏やかに微かな星の輝きを知覚するに至らないのではないか?そう思っています。



 

質の良い闇を得るには


以前読んだアメリカの学校で沈黙の時間というのを取り入れて、その時間だけは何をしても良いけれど言葉や音を発さずに過ごすということをしたら、中退者が75%減少し、学業成績が向上し、イライラすることが減ったと書いてありました。 ガチャガチャと色んな音にまみれた生活ではそんな沈黙の時間が人間には必要だったのでしょう。


それならば光も同様で、常に明るい環境で微かな美しい光を感じ取ることのできない身体になってしまうと豊かな感性も育たなくなってしまうのではないかと少し心配になったりもします。 どうにかして、都市であっても質の良い美しい微かな光を楽しめる、そんな良い闇の場所を作るべきなのだと思うのです。


かつては、茶室がそのような役割を担っていたのかもしれません。 照明デザイナーが企画する茶会・・・ そんなものも、いいきっかけになるかもしれませんね。


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