光のナチュールを楽しむ
- 東海林弘靖 / Hiroyasu Shoji
- 4月21日
- 読了時間: 4分

愛でる感覚に重きを置く
ワイン文化の潮流からの気づき
最近、巷ではヴァン・ナチュール(ナチュラルワイン)というジャンルが注目されています。日本語では「自然派ワイン」と言われます。定義にはまだ幅がありますが、健康的な畑で栽培されたブドウで自然環境に配慮し人手を極力加えずに、産地の真の特色を表現するため添加物を極力使わないで造ったワインのことのようです。
照明は、自然の恵みである果実から生み出されたものとは異なるから「ナチュール」なんて関係ない? いえいえ、そんなことはありません。光のソムリエとしては、このナチュールという言葉は照明や光との関わりにおいても大事なことに気がつかせてくれると思うのです。
醸造家がナチュールに転向していく事情
昨今、ヴァン・ナチュールの醸造家が増えたのは業界の構造に対する疑問や様々な地球上の問題にあるようです。
ワインという素晴らしいお酒を自然の恵みから生み出し、自給自足で楽しんでいた時代はすべてが自然派ワインでした。ワインを楽しむ人口が世界中に広がる中、安定して楽しんでもらえるワインを沢山造ることが求められるようになり、人間の手とブドウとの間に断絶が起きたといわれています。
歴史的にワイン産業が盛況していく中で、素晴らしい畑を持ち時間をかけてブランドとして成功した造り手のワインは、1本あたり数十万、数百万円するようなワインもありますが、それは簡単に飲むことはできない・・・トホホ、と首をうなだれてしまいます。
でもワインの世界には、それとは異なる潮流だって存在するのです。前述の高額なワインは、特別な畑を持つ醸造家が綿密な醸造方法でかつ限定本数を作るのですから、市場価値はどんどん高まるのですが、そこにはこれからワイン造りをしようという若い醸造家など入る余地がないのです。まず、特別な畑は手に入れられないのです。
そこで、意欲のある若い作り手たちは、耕作放棄地や栽培の難しさなどから栽培されなくなりつつあったその土地固有のブドウに焦点を当てたりして、土壌とブドウの特性と丁寧に向き合い素敵なワインを作ろうと挑戦し始めるようになりました。
過剰になったものを見直す
偉大な自然と向き合い、不自然な工程を見直し、丁寧なワイン造りをしながら地球とつながっていたいと願う醸造家が表現するのが「自然派ワイン」というものなのでしょう!
照明においても暗い夜を昼のように煌々と明るくしたり、カラフルな演出で人々に刺激を与えている様子を数多く目の当たりにする内に、夜は静かな灯にホッとするとか、色温度が低くてホッとする・・・というような、生き物としての根源的な光との関係へと回帰していく人がいるのは自然なことだと思います。
光をナチュールに愛でよう!

さて、ナチュールな光って何だろうか?
まずはそのままなのですが、自然光です。
太陽が西の彼方に沈む頃、空に残された光は少しずつ色味を変えながら、静かに光量を下げていきます。その刻々と変化する空模様はドラマティックで、毎日異なる美しさを見せてくれます。そんな空の光の変化を愛しむ時間は、ナチュールな光を楽しむ時間といえるのではないでしょうか?
他にも、
初夏のカラッと晴れた朝に、サワサワと風に揺れる葉の隙間から小さな光たちが折り重なるようにこもれ陽を落とす並木道を歩くとき、あまりにも心地よくて行き先を変えて歩き続けてしまったり、
雨上がりの夕方、ダブルレインボーが空に広がった瞬間を目の当たりにして、地球から祝福をされたような気持ちになったり、
毎月めぐってくる満月の日を月齢表で確認して、月が昇る時間と方角を確かめて、月の出を待つ・・・
なんてナチュールなんでしょう!
最後に人工照明でのナチュールは?といえば、やはり燃焼光源である白熱電球の光でしょう。寝る前に調光器で明るさをグーっと絞って色温度の低い赤みを帯びた心地の良い明かりを楽しみましょう!
ワインの楽しみ方は、有名で高貴なワインをいただくことだけではなくて、ワインが作られたテロワール(土地の気候や土壌などの要因)と生産者の思いを味わうこともあるのです。そんなワインをいただきながら、高級なシャンデリアでなくてもナチュールな光を愛でる春の宵なのです。