ワインの香りと光の記憶
ワインは料理と共に 照明は空間と共に
私は、20年ほど前から「光のソムリエ」を称しておりますが、実はその前からワインを仲間と一緒に楽しむことが好きでした。そしてワインの勉強も一通り行い、何とかワインエキスパートの資格を有するにいたりました。
その道のりで学んだことは、「ワインとは、テーブルを囲む人とのコミュニケーションを豊かにし、合わせる食事の味わいをより高めてくれる存在である一方、ワインの良し悪しが食卓の楽しさ嬉しさ、幸せさを大いに決定するのだ!」ということ・・・それって、すなわち照明デザインにも大いに当てはまることであったのです。
そこに集う人々の経験を高めるために、ワインは料理と共に、照明は空間と共に、期待されれば、期待を越えた歓びを提供できる存在になり得ると考えているのです。
“冷涼な地域で作られる”ワインのような照明デザイン
近年、日本のワイン業界や愛好家の中では、フランスのブルゴーニュ地方やオーストラリアのタスマニア島など比較的冷涼な地域で作られるワインに関心が高まって来ています。俗に『薄旨ワイン』なんて称されることもあるようですが、特徴は、色合い的にも薄くて淡い、けれども香りはしっかりとして旨味もしっかりあるというワイン、このところ私は、ピノノワール種から出来るこういったワインを好んで飲んでいます。
一方、私があまり得意ではないワインというのは、重くて渋い赤ワイン、ブドウの種類で言うとカベルネソーヴィニヨンやシラーズといった液体の色が濃くて、アルコール度数が高めの力強いワインです。食べ物との相性においては、薄旨系ワインは出汁が効いたような繊細な味わいの和食に合わせて楽しむことができますし、一方、フルボディの力強いワインは、料理もまた同じような力量を持つ、力強いお肉やしっかりとしたソースを使った料理などが合うといったところです。
これらを照明デザインに例えれば、凹凸のはっきりとしたファサードや、デコラティブな空間デザインに合わせるための、力強く賑やかな照明や、お祭りのような祝祭の光などは、力強いワインのようなフルボディが求められると思います。
一方で、薄旨ワインのような照明デザインは、微かな変化で色づくような日本の伝統的な色彩感覚のような光であったり、ほとんど気づかないくらい繊細に明るさが変化する光であったり、さりげなく心に染み入るような照明ではないかと思います。
私の居場所であれば、薄旨照明デザインの空間は心地よく感じますが、時と場合によってその場により相応しいものを考えるのが照明デザイナーであり、光のソムリエに期待される役割だと思います。
余韻、一瞬で終わらない良さ
ワインを楽しむ際の要素で、私が特に注目しているのは余韻の長さです。素晴らしいワインというのはもう飲む前から香りに酔いしれます。それから口の中に含んだ時の鼻に抜ける香しいかおり、飲んだ後もワインの印象が消えることなく、数分間も長―く続いてまいります。「ああ、これはすごく幸せだな」と、その余韻のなかでかみしめるのです。
一方、最初口に含んだ時のインパクトはあるのに、飲んだ後スーッと消えてしまって、あまり記憶に残らないワインに出会うこともあります。
この余韻という時間は、照明デザインにおいても重要です。 人々の記憶に長く残っていくような光をどう作ってゆくのかは、なかなか簡単にはゆきません。
光とともに照らされる面の光沢や分光反射率(波長ごとの反射率)によって、あるいは光が様子を変える変化時間などのさじ加減によって光の現象はどんどん余韻と深みを増してゆくのですがなかなか思うようにはすすみません。素晴らしいワインを飲んだ時のように、もういつまでも見ていたい、その場を立ち去った以降もその光に幸せを感じていてほしい!私はもう少し修業が必要なのだと思ってしまいます。
大好きなジュヴレ・シャンヴェルタンのように…
さて最後に私が特に好きなワインな何かと問われれば、大いに迷ってしまいますが、フランスのブルゴーニュ地方がジュヴレ・シャンヴェルタン村で作られるワインです。
このワインを照明空間にたとえるのなら、それは薄っすらとした闇の中に、柔らかで温かい光が差し込んでいて、光と闇の絶妙のバランスで成り立っているような空間。しかし、進むにつれ光の量は少しずつ増してゆき、繊細な影が空間のダイナミズムを見せてくれる・・・そんな幸せな感じなのでしょう!ちょっとマニアックになってしまいました。
ところで、ワインの世界にはその特徴を人に伝えるための決められた共通言語-ティスティングコメントというのがあります。それぞれの人が勝手な言葉で語り合うのではないのです。世界中で統一した言葉を共有することで、ワインの世界が大いに広がっているのです。
照明の光の表現にもそんなティスティングコメントがあれば、ワインのような世界観が広がってゆくのではないか?と今日もワイングラスにジュヴレ・シャンヴェルタンを注ぎながら考えているのです。