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  • 執筆者の写真東海林弘靖 / Hiroyasu Shoji

おとぎ話-昼の国・夜の国


光のソムリエ第136回「おとぎ話ー昼の国・夜の国」メイン画像ー宇宙から見た地球と太陽

地球の自転軸がずれた時…


北極点がずれてきている?


最近、耳にした話、どうやら地球の自転軸がずれてきていて、北極点の位置がヨーロッパ方向に移動しているというのです。


こうなると、地表面での日照量も変わってきて農作物にも大きな影響がありそうですが、そのずれが極端になってくると、地球上のとある地域では、1日の中に昼と夜があるのではなく、20年間ずっと昼(もしくは夜)、となってしまうのだという驚くべき話を聞いたのです。さすがにそうなってしまうと、これも人間や地球上の動植物にとって重大な変化であることは確かです。


もし、そんな環境になったら、私たちの一日の生活は、どうなってしまうのでしょうか? あるいは、照明の文化などはどのように変化していくのでしょうか? 今回は、そんな視点に立って考察してみたいと思います。

 

人々の暮らしはどうなる?


世の中が夜間ばかりになってしまったら・・・?という仮定にしたがって考えてみましょう。


まずは気持ちの良い朝の雰囲気や、明るい太陽の煌めきが失われるのですから、気分が大いに滅入ってしまいそうです。微妙に変化していく夜明けの空の変化もありません! 「・・・やうやう白くなり行く山際・・・」という、清少納言の「枕草子」の意味を理解できなくなってしまいますね! なんだか考えただけで、しょんぼりな気分になってしまいました。 一方、昼間ばかりになってしまった場合ですが・・・、外でスポーツをするような方にとってはその時間がたっぷりとれるのでいいかもしれません。そして、疲れたら昼寝をむさぼる・・・、これは素敵な時間の使い方かとも思われます。


しかし、昼ばかりの状況を言い代えて、「夜がなくなったら?」と考えると、それはつまらなさそうだとも感じます。夜空を仰いで星を見たり、仲秋の名月を愛でることもできないのです。強い日差しのない優しい夜の闇に癒されることのない世界では、疲れが蓄積しそうです!

 

昼派、夜派、あなたはどっち?


光のソムリエ第136回「おとぎ話ー昼の国・夜の国」サブ画像ー夜の住宅地のイメージ

昼か夜か?この二者択一を迫られたら、照明デザイナーの私はやっぱり夜派です。仕事柄、闇のキャンパスに光を描くので、やはり夜がないと困ってしまうというのもありますが、昼間はなんだか働かなくてはいけない雰囲気がありますし、ゆったりとした夜の時間が欲しいと思いました。それとやはり夜には、ワインを楽しむという時間がついてきていますし!


しかし、ライトデザインのスタッフに聞いてみると、私は絶対に昼派!という人もいました。それは夜だけだとぐうたらになっちゃいそうだから、ちゃんと太陽に目覚めさせてもらいたいし、夜の国なんてなんだか寒そうなイメージだし、それならば昼間暖かな太陽にエネルギーをもらって活動して、休みたくなったらシェルターのようなところに入っていくほうが良いという意見でした。


このなかなか面白い選択というか、性格によって分かれそうですし、実際、昼の国の住民、夜の国の住民になったら性格も変わって行きそうな気がします。

 

昼の国と夜の国の物語


なんだか、小説のタイトルみたいですが、昼の国の王子様と夜の国のお姫様はどんな性格でどんな過ごし方をしているだろうと想像してみました。


昼の国の王子様はアグレッシブな行動派でスポーツが大好き、でも昼寝も大好きで・・・、一方、夜の国のお姫様は思慮深く、読書好き、故に創造力豊かな人でした。昼の王子様は石のお城に住んでいて、サイや象などのペットと暮らしている、夜の姫は猫やトラなどの夜行性の動物がペットで、・・・なんておとぎ話が作れそうです。 さて、では今私たちが生きるこの時代は、生活時間を中心にみてみると、どっちなのだろうと考えてみました。私は、現代は夜の時代なのではないかと思います。その理由は、朝起きて、通勤電車に乗り、日中は会社で時間を過ごす。オフィスという空間は、窓はあるものの、自然光だけでは不十分なので、照明によって明るくコントロールされています。つまり、昼なのに夜のような空間です。 しかし、電気の照明が起こる以前(100年くらい前まで)は、農作業や狩猟をする昼間をベースとした生活を送り、陽が暮れれば家に帰り、明日のために休息する・・・というサーキュレーションを繰り返していました。私たち人間は、長く昼を旨とした暮らしをしていたのですが、電気の照明の発達によって知らぬ間に光をコントロールしやすい夜を旨とした暮らしに切り替えられてしまったのです。


今回のお題に考えを巡らせてみて、私たちには、昼と夜、そしてそのはざまにある夕方や薄暮、あるいは曙や朝という中間の時間も含めて、移ろいゆく光の時間が流れる幸せを改めて感謝したい気持ちになりました。


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