”上質な光に包まれる豊かな人生”
ようこそ、光のソムリエへ
みなさん、こんにちは。東海林弘靖です。ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、私は2007年より三井不動産レジデンシャルのコミュニティサイト「みんなの住まい」の中で、「光のソムリエ」というブログを連載させていただいておりました。そこでは今まで私が体験してきた光の情景をはじめ、暮らしを彩るちょっとした照明のアイデアなど、さまざまな光を楽しむコンテンツをご紹介させていただきました。
“光は「量」より「質」!こだわれば暮らしはデリシャスに進化する”このキャッチフレーズのもとに約200のコラムを掲載いたしましたが、こちらではそれをさらに進化させたブログをお届けいたします。「照明は私たちすべての人生の時間を、美しく価値高いものにするために工夫すべき」というスタンスで光と照明、そして私たちの暮らしにかかわる話題を追求してまいります。
電球のこれから
さて、先駆けとなりました「光のソムリエ」がスタートした2007年と今日では、照明器具にかかわる技術はもちろん、あかりに対する価値観までもが大きく変わりました。そのなかでも最も大きな出来事は、昨年の東日本大震災です。大地震→福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故→停電や節電という状況を通し、これまでの日本の照明は明るすぎたのではないかということに誰もが気づかされました。これが契機となり、日本で60年くらい続いていた“明るさ至上主義”の価値観にはいったん終止符が打たれ、今日の日本では改めて「あかりとは何か?」が問われているのです。 こんな揺れ動く時代に救世主のごとく登場してきたのがLEDという新しい照明技術です。節電・省エネが叫ばれる時代にこれまでの白熱電球の立ち位置を置き換えるように急速に需要を伸ばしてまいりました。白熱電球に比べて低電力であるうえに、寿命は約10年と非常にロングライフが躍進の理由なのです。 また、フェースブックなどを通して何かと話題となった広告もありました。それは東芝のLED電球のテレビコマーシャル、「LED10年カレンダー」篇です。映像はマンションの一室を外から写したもので、シルエットのみでストーリーが展開します。最初にある男性がLED電球を灯すことからはじまります。次なるシーンは恋人と思しき女性が現れます。やがてプロポーズし、指輪を差し出します。その後結婚、子どもを授かり・・・。シンプルな影絵は私たちの日常を映し出すかのように進みます。そして気が付けば3人の子宝に恵まれ10年が経過するという内容です。見ていてウルッときそうな素敵なCMです。私たち日本人の日常を温かく照らすLED電球というテーマなのでしょう。 確かに人生の時間に光がかかわるといった点においてはその通りなのですが、何となく感傷的かつステレオタイプに語られてしまうことには合点がいかないところも感じられます。これまで一般に冷たい印象が強かったLEDの光に温かな印象を付加させた大変きれいなCMであるだけに少し考えてみたいと思います。
省エネ・長寿命を超えた照明の楽しみを!
私たちの暮らしにそっと10年間寄り添ってくれるLED電球は確かに頼もしい存在です。しかし、電球を換えない便利さが私たちの幸せをつくるとは思えない、むしろどれだけ素敵な光と暮らしているのかに言及していない点について光のソムリエとしては問題提起したいと思うのです。 10年間切れない電球は当たり前の存在となり、消えて気がつく“あかりのありがたさ”という感覚にも疎遠となることでしょう。点いていて当たり前の生活に、灯りへの感謝の気持ちを保つことができるのか、不安がよぎります。電球に触る機会も少なくなるでしょう。電球を替えるという行為は、実は明かりに対して定期的にありがたさを再確認するという重要な意味があったのです。 上質を楽しむということは、使うものを選りすぐり、ケアを重ねることも楽しみの一環です。白熱電球は切れることでケアを促し、上質な光を培っていたのかもしれませんね。これから白熱電球がLED電球に変わっていっても、灯りへの感謝とケアを忘れないでほしいのです。 さて、ここまで書いてきて注釈を付け加えさせていただきたいのですが、光のソムリエは決してLEDを否定している訳ではありません。LEDの良さをさらに楽しむために知恵を絞りましょう。 たとえば、電球をスパイスのように考えてみるのはいかがでしょうか?その時の気分に合わせて色味の違うLED電球に交換するなんていうことがあってもいいと思います。そうです、先ほどのCMで言えば、彼女が来るから「少しグレードアップした優しい色温度の電球に取り換えた・・・といった感じです。 はたまた、毎年誕生日の1週間前に疑似的に電球が切れて電球交換気分が味わえる電球なんていうのがあってもいいですね・・・。そうか誕生日が近づいてきたのか!1年たつのははやいなぁ・・・なんて気付かせるのも照明の役割なのかもしれません。相変わらず光のソムリエの空想は広がり続けているのです。