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執筆者の写真東海林弘靖 / Hiroyasu Shoji

人生は70からが面白い!

更新日:2023年6月16日


京都で”男は70から”と教えられた


京都のプロフェッショナル


それまで京都という町には何十回と足を運んでいて、時折行ってみたくなる好きな場所やほっとできる寺社建築も持ち合わせておりました。しかし、そこには親戚はもちろん親しい知人すらいなかったので、私はいつも京都好きの観光客の一人にすぎませんでした。ところが、数年前にご縁を得て京都で仕事をさせていただくようになってから、この街が少し優しく私を迎え入れてくれるように感じられるようになったのです。


昨年はちょうど今頃、京都の料亭である和久傳がプロデュースして、京丹後から運ばれるおいしい野菜を中心とした朝食をいただける新しい業態の店をつくるプロジェクトの照明を担当させていただきました。このプロジェクトを通して京都での店づくりに関わる色んな職種のプロフェッショナルな方々にお会いすることができ、さらに京都の方々の独特の世界を垣間見させていただきました。幸いにも、これをきっかけとして、高台寺和久傳(それは立派な数寄屋なのです)の照明デザインものちに手掛けることになり、そこでもさらに様々なプロフェッショナルの方々と出逢うことが出来ました。

 

日本の伝統の元に

高台寺和久傳の床の間
高台寺和久傳 photo by Toshio Kaneko

高台寺和久傳という料亭は、かつて京丹後にて料理旅館を営んでいた背景をもち、今では京丹後から運ばれる海の幸、山の幸を中心とした素晴らしい食材の調達から、腕のいい料理人の丁寧な仕事によって芸術的な料理が生み出されることで知られています。その高台寺和久傳の建築は、1952年に大工の神様と称される棟梁、中村外二氏によって文化人の邸宅として建てられた数寄屋建築を譲り受けたものです。


客をもてなす空間として品格のある佇まいで、建築家のファンも多いと聞きます。ご存知のとおり数寄屋とは日本の伝統的な建築様式のひとつで、室町時代に完成した茶室が進化し、江戸時代に入り茶室のようなスタイルの住宅様式として歩み始めます・・・建設は数寄屋大工と呼ばれる専門の大工の手で行われるもので、伝統的な木造軸組工法が用いられます。


数寄屋を建てるにあたっては、様々な専門の職人さんが登場いたします。例えば、軸組を立てる大工、建具の木を削って組み合わせる指物大工、壁を仕上げる左官職人、ふすまを貼る経師職人、そして庭師・・・これらの職人を束ねるのが棟梁という大きな存在となるそうです。映画で言うと監督ということになるのでしょうか?

 

棟梁の言葉


数寄屋建築の照明の改修計画を進行していく中で、様々な職人さんたちと言葉を交わしながら、大いに勉強させていただいたのですが、その仕事が完成する直前に、実際に棟梁とプロジェクトについて語る機会を得ました。すると、こんな会話が交わされたのです。


棟梁が私に聞きます・・・、“お前さんはいくつだい?”。そこで、58ですと答えると、まーだ58か、ハハハなんてお言葉が返ってきました。聞けば、ここ京都では70からだよと、この世界では70歳になって初めて好きなことが出来るんだ、それまではずっと修業なんだと言うのです。58の私は棟梁から見れば、まだひよっこに見えたのでしょう・・・この言葉には大変感動いたしました。そうか、俺なんて全然まだまだじゃないか!男は70からなんだ!「これからが勝負なんだぞ!喝!!!」と言われた出来事だったのです。


そして、プロジェクトが完成してからも京都に来ていいから、時間をかけて現場を見守りつづけていくようにという言葉をいただき、意気揚々と通っている今日です。


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