怖さとワクワク感が共存する場所
夏の思い出
8月に入り、夏もますます真っ盛り、休み中の子供たちには楽しい季節となりました。すでに45年も前の話になりますが、小学生の私は、地元のスポーツ少年団に入っておりました。そして、毎年この季節にはどこかの山の中でキャンプ合宿がありました。数十人の小学4、5、6年生と、10名ほどの大人たちとで2泊3日の大きなイベントです。山中のキャンプ場に到着したら、まずは、テントを張って居場所をつくります・・・。3日間そのテントで暮らすのですが、今でも記憶に残っているのが “夜の森”のイメージです。当時、普段の生活で森の中で夜を過ごすなんてことはなかったので、とても怖かったのを覚えています。
怖さの理由
一張のテントの中には3人くらいの少年がいましたが、夜になるとテントの中の小さな空間は、非日常のワクワクした空間でした。しかし、次第に夜は更け、周りのテントの明かりも消され、本格的な夜の世界がやってくると・・・、急にとてつもなく大きな暗闇がおそってきました。しかも風によって揺れた木の枝や葉のすれる音が意外にも大きく、テントの中の眠れぬ私は身を小さくしているほどでした。
そのうちに、遠くのほうから突然、キキキーッと鳥の声、そして何か猛獣のような唸り声がコァーコァー・・・、とそんなさまざまな音や鳴き声が聞こえて、夜の森はなんて恐ろしいんだ!と強く刷り込まれたのでした。
(ネイティブアメリカンのある部族のしきたりの中には、少年から青年になるにあたっての修行として夜の森に一人で入って一晩過ごし、こういった恐ろしさを耐えるという習わしがあるそうですから、そりゃあ子供には怖くて当然ですね。) 私は大人になってからも、夜の森を体験する機会がいくつかありました。ひとつはドイツで、Stuttgart(シュトゥットガルト)という街の近郊にある森での体験です。その森の中に建てられたテレビ塔から、街の夜景を撮影しに行ったのです。テレビ塔は、街の中から見ていると、そんなに遠くにあるようには見えなかったのですが、実際にバスに乗って行ってみると、かなり深い森の中に建っていました。
建物には日没直前に到着し、展望台で日没を待ちました。そして西の空で日没の夕陽の演出が終了するや否や、東の空からブルーの光の帳が曳きこまれてきました。私は、夢中になってカメラのシャッターを切り続け、そして、気が付けば街に帰るバスがなくなってしまっていたのです。あたりを見回しても観光客らしい姿はありませんでしたので、仕方なくバスで来た森の中の道を歩いて帰ることにいたしました。陽が落ちた森の中は、これまで忘れていましたが、本当に大きな闇があるのです。落ち葉を踏んで歩いていると、何やら後ろから私の後をつける山賊が迫ってきているような錯覚を感じ、思わず駆け出してしまいました。
大人になってからの夜の森経験は、もう一つあります。それは、数年前、NHKの番組の取材でパプアニューギニアのホタルの木を見に行った時のことです。ホタルの木は、相当深い森の中にありました。この時もやはり夜の森の暗さを感じましたが、この時は幸いに、沢山の取材クルーに加え、地元の案内役の方が数名同行していただきましたので、以前のような恐怖心は全く抱くことはありませんでした。そして私は、初めて夜の森を冷静に見ることができたのです。よーく、よーく夜の森を見て観察してみると、森はただ暗いのではなく、実は結構光っているということがわかったのです!
夜の大自然の面白さ
その夜の森のなかで光っている光の正体はひとつではありませんでした。光る菌糸類、さらには光る苔、さらには木の切り株の中にいる微生物、そしてホタルなどがありました。どの光も微かな発光です。薄みどり色の光や、やや温白色の蛍光灯のように見える光でした。これらは、生命体発光と呼ばれる発光原理を持つ生物たちの放つ光でした。そしてよく見るとそれらの光は、必ずしも一様に光っている訳ではありませんでした。微かに明滅しているようにも思えました。そんな3度目の夜の森体験でした。 それまで、夜に明かりを灯すことができるのは、人間ばかりだと思っておりました。しかし、森に生きる生物たちは、それぞれが命をつなぐために光を携えているのです。 私たちは、夜という大きな宇宙の現象のなかで、小さな命の明かりを灯す沢山の発光生物を思いながら、照明とどうかかわってゆくべきなのか・・・真摯に照明の歩むべき道筋を考えなければならないのでしょう!
この暑い夏の日、そんな森の中で見た光のこと、そして、これからのあかりのことを考えるのです。