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  • 執筆者の写真東海林弘靖 / Hiroyasu Shoji

「伝説の建築家」との仕事

更新日:2023年6月16日


Galaxy SOHO(北京)
photo by Toshio Kaneko

宇宙船のようなフシギな建築ができました


ザハ・ハディドさんをご存知ですか?


明けましておめでとうございます。 本年もこのブログ「光のソムリエ・プルミエール」をパワフルに書いてまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。


さて新年最初のお話は、昨年12月に北京に完成した複合施設「Galaxy SOHO」のことにいたしましょう。まずは写真をじっくりとご覧ください。この軟体動物のようなフシギな建築を設計したのは、ザハ・ハディドさん(62歳)というイラク出身、イギリス在住の女性建築家です。


建築を見てもわかるようにダイナミックな流線を描いた設計が特徴で、見た目にも圧倒されてしまいます。彼女の建築は現在世界中でいくつもプロジェクトが進行中で、私たちの身近なところでは建設を予定している東京・新宿区の新国立競技場が彼女のデザインに決まっています。しかし、十数年前までは彼女は「伝説の建築家」とか、「アンビルトの女王」なんて呼ばれた人物だったのです。


昨年はそんな伝説の人物の建築「Galaxy SOHO」の照明デザインを光栄にも手がけさせていたわけですが、ともすると周りの人からは「なんでそんな大きくて、面白そうな、あんなスゴイ人の仕事をすることになったの?」とよく聞かれます。それはワタシがスゴイから!・・・ではなく、24年ほど前のあるご縁から始まったものだったのです。

 

まさに“アンビルト”だった、ザハ建築


ザハ・ハディド(すみません以降敬称は略させて頂きます)は1970年頃に「アーキグラム」という実験的な建築を創造するグループの一員として、数々のコンセプチュアルな空想の建築を発表していました。その想像力豊かで斬新なフォルムは国際的なデザインコンペを受賞するものの、当時の技術では流線型の建築を図面化することは難しく、実際には完成できずプロジェクトが立ち消えしてしまっていたのです。


しかし、時代は流れコンピュータ技術が急速に進化した2000年くらいになってから、3次元CADソフトが開発されることで、初めて彼女の作品が現実化できるようになったのです。これまで建築の設計は、平面図と断面図・立面図を描けば建設を行うことができたのですが、ザハ建築はあまりにも複雑な曲線で構成されていたので、これまでの建設のシステムに当てはめてつくることができなかったのです。3次元CADソフトは、粘土で自由に造形していくようにどんな建築だって設計することができるソフトです。このソフトの登場によって以降、世界中で次々とザハ建築が建設されるようになりました。


そんな現代の巨匠建築家とのご縁があったのは、1987年のことでした。私は20代でTLヤマギワ研究所という照明デザインの事務所で修業中だったのですが、日本はバブルに向かう勢いがあった時代でした。


そんな経済的背景があったからでしょう。本当に小さな規模でしたが日本にザハの建築不可能な建築を実際に建ててみようというプロジェクトが立ち上がったのです。ザハ・ハディドの名前は当時から建築界では有名でしたから、それを聞いた私はぜひ照明デザインをやりたい!と手を挙げ、晴れて担当者となることができたのでした。

 

四半世紀前のできごとから…


1989年ザハ事務所でザハ氏と私(東海林弘靖)が握手している記念写真
photo by LIGHTDESIGN INC.

暫くして、ザハ・ハディドが来日し、私はなんとかスケッチとつたない英語力で汗をかきながら、かの有名な“アンビルトの女王”の前でプレゼンテーションをすることになりました。


実際にお会いした彼女は輝くオーラに包まれていました。振る舞いもダイナミックな印象で、物事をはっきりと言うタイプの方だったのを覚えています。業界では気性が荒いとか、頑固という逸話もあったのですが、私の魂を込めたプレゼンテーションが伝わったのでしょうか? どうやらお気に召されたようで、上記の笑顔の一枚がカメラに収められました。(中央がザハ、握手しているのが若かりしときの私です)


この写真の向かって左側に写っているのは、当時日本でザハ事務所東京の責任者を務めていた大橋諭(おおはし・さとし)さんで、現在もザハとのコラボレーションを続ける人物です。私がザハ・ハディドと直接お会いしたのはこの一度きりだったのですが、大橋さんとはこのご縁をきっかけに以降も一緒に仕事をするようになりました。そして、今回、25年の歳月を経て、大橋さんとのつながりから、今をときめくザハ・ハディド建築のプロジェクトに再び参画することとなった・・・という長い長いお話だったわけです。


その当時は若さもあって、仕事をすることが楽しく、ワクワクしながら、今、興味のあることを一生懸命に取り組んでいました。そういった下積み時代の姿勢や行動が長い年月を経て、このようなカタチで未来をつくったのかもしれません。ただ、24年前のワクワク感は、将来のための投資では決してありません。


その時を楽しみながら、ドキドキするほどに好きなことに取り組んでいったにすぎません。そういう意味では、今も何も変わってはいないのだと思うのです。今年もワクワク、そしてドキドキするような仕事をどんどんしてゆきたいと願う1年のスタートです。


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