“光持ち”になろう
ものごとの価値観が変わる
前回の文末にも書きましたが、2021年から地球上では新しい時代“風の時代”なるものが始まり、これまで当たり前と信じられていた価値観がガラッと変わっていく大きな変革の時期にあると聞きます。これまで220年続いた土の性質の時代では、スタートするやいなや産業革命が起こり、物質的なものや権威に価値や重きが置かれてきました。
新時代、風の性質というのは打って変って形のないもの、空気感や精神、組織や集団よりは個人に重きが置かれるのだそうです。すなわち、お金などの資産を積み上げていく経済的な豊かさの価値よりも、情報とか知性、コミュニケーション、またそれらが集まるバーチャルも含めた空間が、より価値あるものになっていくというのです。
新しい価値基準
当然ながらお金に対する価値観も変わり、必ずしも経済的な豊かさが人生の豊かさには直結しないと感じる人が増え、むしろ、そうでないものに価値がより求められるようになるのだと…。
例えて言えば、話題のユーチューバーが人気なのは、お金を稼ぐ職業であるからではなくて、たくさんの“いいね”を持っているからだというのです。すでに新たに生まれた価値基準がユーチューバー人気という現象に現れているのでしょう!
持ち物がモノやカネではなく、「いいね」のような形のない観念的なものを持つ人が豊かであると価値づけられていくということなのかもしれません。
照明デザイナーが持っているもの
さて、照明デザイナーの私は何持ちなのだろうかと考えたら、やはり光を持っている“光持ち”であると言えるでしょう。お金持ちではなく、光持ちです。豊かな“光持ち”とはどんな光を持っているのだろうと考えたとき、10年前にNHK・BSテレビの収録で行ったパプアニューギニアで見た夕日が真っ先に思い起こされました。
その時私はパプアニューギニアの森林の中に立つという蛍の樹を見るために、電気の来ていない南太平洋の島に出かけました。その旅の途中で、案内していただいた地元の漁師のご夫婦が、この島で一番美しい光を見せてあげたい…と誘っていただいたのが、サンゴ礁入り江に沈む夕陽の光景だったのです。
夕陽が海へと落ちる数十分間の出来事は、凪で無風となった海水面が、完璧な水鏡を呈しています。雲を照らす紅の夕陽は、雲の濃淡によって深紅からオレンジ、ピンク色にまじりあいます。その空の色が海水面に映り込んで、もはやこの世の景色とは思えないような興奮状態にいざなうのです。私は「ここで死んだらきっと納得できるに違いない!」と確信したのです。
夕日の持つチカラ
その時、照明デザイナーである私は、この荘厳な光の現象を何とか記録したいという衝動に駆られていました。持ってきたカメラをしっかりと三脚に固定して、ファインダーを覗き込んでひたすらシャッターを切り続けました。時々刻々と変化する紅い光のドラマを、その光を体で浴びながら、カメラの記憶媒体にも送り込んでいったのでした。
上の写真は、その中の1枚です。ちょうど一艘の小舟がやってきました。
何とか記録した写真でしたが、私のその時の感情をこの写真がすべてを伝えることはできないかもしれません。
光持ちとは、光の織りなす現象…そこに身を置いた時の感覚、感動の体験をどれだけ持っているのか?を問う基準と考えてみましょう。
人が西方に想うもの…
そんな記憶を思い出しながら人はなぜ夕陽に魅了されるのか?と考えてみたとき、仏教の世界で語られている「西方浄土」という言葉を思い出しました。
西方浄土すなわち極楽浄土は、西の空、およそ十万憶仏土隔てた遥か彼方に存在するとし、その西の方を向いて拝むことで極楽浄土に行けるという考え方があったようです。日本では平安末期から中世にかけて西の落日に向かって観想するという「日想観」という習慣が流行します。 西に沈む太陽を観てその先にある極楽浄土を想う…それはただ眼で景色を観察するという行為を超え自分の心の中の在り方を観察しているのではないかと感じます。
心の中にある自分が思う極楽浄土を見つめるというのは、まさに自分がどんな光を持っているか?自分の中を探る良い機会なのかもしれません。
ちなみに、前の風の時代は1186年~1425年で、その時代は鎌倉幕府がスタートし室町時代始めまで、その頃花開いたのが精神性に重きを置き、自らの心と向き合う禅という仏教文化だったのです。
冒頭で書き出した精神性や個人というキーワードに繋がってゆくことに驚きます。
照明デザイナーになって、今年で37年、ブルーモーメントに心ときめかせたことの先へ駒を進めたいと心を決める如月の宵なのです。